伊達宗清 飯坂の局 伊達村房(吉村) 原阿佐緒 佐藤忠良 ●ホームページへ戻る

人物往来

伊達宗清

伊達宗清

 (1600〜1634)吉岡城主。

 宗清は仙台藩祖伊達政宗の三男で、慶長5年、新造の方(新庄旧城主六郷伊賀守娘)を母として京都伏見で生まれました。幼名は権八郎、4歳で母を失い、5歳の時父政宗の命で信夫郡飯坂の豪族飯坂氏の跡を継ぎ、11才で元服して伊達河内守宗清と改めました。
 宗清は黒川郡の領主となり、まず下草城に入り、のち元和元年(1615)より吉岡城の築城にかかり、翌2年養母飯坂の局とともに吉岡城に移り城下町を開府しました。

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飯坂の局

飯坂の局

(1569〜1634)伊達政宗の側室、宗清の養母。

 永禄12年(1569)、飯坂氏14代の飯坂右近宗康の次女として生まれました。後に伊達政宗の側室になり米沢城で飯坂の局と称されました。
 天正19年9月、政宗が米沢城から岩出山城に所替のおり、飯坂の局も米沢から松森(現在の仙台市泉区)に隠栖しました。隠栖して13年目に政宗の三男権八郎の養母となりました。

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伊達村房(吉村)

(1680〜1751)伊達政宗の孫宗房の長男。

 仙台藩4代藩主綱村の世子(諸侯のあとつぎ)となり、将軍綱吉から諱字を賜り吉村と称しました。5代藩主となった吉村は施政40年、破局的状況にあった当時の藩財政を立て直し、中興の英主と仰がれたといいます。

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原阿佐緒

原阿佐緒

(1888〜1969)歌人。

 明治21年6月1日、黒川郡宮床の素封家・父幸松母しげの一人娘として生まれました。
 先に短歌を明星派の与謝野晶子に師事、のちアララギ派の斎藤茂吉、島木赤彦の指導を受けました。
 九条武子、柳原白蓮と共に三閨秀歌人としてその美貌と才能をうたわれましたが大正10年に東北大学教授・石原純との恋愛問題のため不遇な立場に置かれての生涯でした。
 歌集は「涙痕」「死をみつめて」など。

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佐藤忠良

佐藤忠良

(1912〜2011)彫刻家。

 明治45(1912)年、教師だった父親の赴任地、黒川郡落合村舞野(現大和町落合舞野)で生まれ、大正5(1916)年吉岡町へ転居、大正6(1917)年までの幼年時代をこの地で過ごしました。昭和9(1934)年東京美術学校に入学、以来一貫して塑像彫刻の道を歩み続けました。
 現代日本の具象彫刻を代表する作家であり、その作品は、フランスやアメリカなど海外でも高く評価されております。

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