「国恩記」ゆかりの地
江戸時代の仙台藩吉岡宿に思いを馳せながら
仙台市中心部から北へ約二十キロ、現在の大和町吉岡に、今から二百五十年ほど前の江戸時代、江戸と東北諸藩を結ぶ奥州街道と出羽街道の宿場町・吉岡宿があり、人々は、街道を行き来する物資を藩の命令で運ばなければならない伝馬役が課されていました。
しかし、この伝馬役には藩からの助成がなく、宿場は次第に困窮し家を捨て逃亡する人も増えてきました。そのような中、町の将来を心配し、人々を苦しい生活から救って吉岡宿を建て直したいと考えた穀田屋十三郎・菅原屋篤平治ら九名の篤志家たちが、私財を投げ打ち一家離散も覚悟の上で、一千両を工面し仙台藩に貸付け、その利息で吉岡宿を救った経緯が、龍泉院の住職を務めた「栄洲瑞芝」により「國恩記」として記録されました。
この「國恩記」に記されている実話が、今般、歴史学者磯田道史氏の著書「無私の日本人」に、また映画「殿、利息でござる!」となって蘇りました。
当時の吉岡宿の街路は、幸運にも今にその姿をとどめております。九名の篤志家達の思いと、彼らと苦難を乗り越えた
多くの人々に思いを馳せながら大和町吉岡宿めぐりをお楽しみください。
國恩記とは
江戸時代後期、吉岡で行われた窮民救済事業のおこり、組織・運営・実態などに関わる諸資料をまとめたもので、龍泉
院八世栄洲瑞芝禅師によって記されたもの。
九名の篤志家
穀田屋 十三郎(こくだや じゅうざぶろう)
千坂 仲内(ちさか ちゅうない)
遠藤 幾右衛門(えんどう いくえもん)
遠藤 寿内(えんどう じゅない)
早坂屋 新四郎(はやさかや しんしろう)
菅原屋 篤平治(すがわらや とくへいじ)
穀田屋 十兵衛(こくだや じゅうべえ)
浅野屋 甚内(周右衛門)(あさのや じんないしゅうえもん)
穀田屋 善八(こく だや ぜんぱち)
國恩記の筆者
栄洲 瑞芝(えいしゅう ずいし)