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大和町観光かるた読札一覧

<外部リンク> 印刷用ページを表示する 掲載日:2016年4月1日更新

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行

あ行

50音読み札解説
哀愁の歌人 原阿佐緒
「あ」のかるたの画像
 明治二十一年宮床に生まれる。アララギ派の歌人。歌集「涙痕」「白木槿」「死を見つめて」「うす雲」「阿佐緒抒情歌集」。歌碑三ヶ所、仙台市向山野草園、生家宮床、七ツ森湖畔公園。父幸松が建てた擬洋風白壁の家は、明治の建物として県下最古のものといわれている。平成二年に「原阿佐緒記念館」に改築された。
飯坂の局 ねこ御前
「い」のかるたの画像
 伊達氏家臣飯坂右近宗康の娘、伊達政宗の側室となる。政宗の三男宗清四才で母を亡くし、五才で飯坂家の名跡を継ぎ、飯坂の局が養育した。元和二年宗清とともに吉岡入城、寛永十一年閏七月死去、宗清と同じ天皇寺に墓碑あり。ドラマ伊達政宗のねこ御前はこの飯坂の局である。
うっ蒼たる林の中に報恩寺
「う」のかるたの画像
 黒川氏の菩提寺である。中世期後期黒川郡主であった黒川氏は、御所館、鶴巣館を造り権勢をきわめたが、戦国時代末に没落した。寺に歴代の位牌あり。境内にある五輪の塔は黒川景氏のものといわれている。
絵のような升沢権現保食神
「え」のかるたの画像
御神体は美しい金銅菩薩立像で、像高二十二センチ。升沢権現は船形山神社とよばれ、祭礼の日、御神体が地上に現れるのは三時間前後、土中から掘り出した御神体の湿り具合で豊凶を占い、終るとすぐ宮司が秘密の場所へ埋めてくる。祭日、五月一日「梵天ばやい」。
大昔村の鎮守の里神楽
「お」のかるたの画像
 神社の祭時に社殿で舞う奉納の舞い。神楽歌をうたい、鉦鼓に合わせる勇壮な舞いである。町内には金取代代神楽、難波神代神楽、三ケ内神楽、北目神楽、蒜袋神楽など各地にそれぞれ特色のある神楽があり郷土芸能として鑑賞されている。

か行

50音読み札解説
かもしかの棲む旗坂キャンプ場
「か」のかるたの画像
 旗坂キャンプ場はブナの原生林の中で渓流に囲まれた美しい場所である。
 たまにかもしかが顔を出す。日本かもしかは日本と台湾だけにいる哺乳動物で特別天然記念物である。やぎに似て雌雄とも二本の角を持っている。
樹が茂り知恵も授かる文殊森
「き」のかるたの画像
 七ツ森のそばに小さく並んで立っているが、七つの中に入らないのがタンガラ森である。別名文殊森ともよばれ、古くから知恵の授かる文殊菩薩が祭られ、龍森山文殊堂があった。また宝暦年号の薬師如来石像も祭られている。
桑沼の水のほとりにモリアオガエル
「く」のかるたの画像
 桑沼はブナの原生林に囲まれている。沼の周辺に生息しているモリアオガエルは緑色、または斑褐色をしており、雌は雄より大きく、四月から六月頃、木の枝に夏みかん大の白色状をした卵塊を産む。
渓流の原生林の中に升沢遊歩道
「け」のかるたの画像
 小荒沢橋入口から、大沼の淵を通り、雑木林の森林浴を楽しみながら進むと割山断崖の入口に出る。渓流を右に見て進むと、突然大地をゆるがす「割山大滝」に至る。滝のしぶきによる七色の虹と、涼風は格別、また途中に「すり鉢沼」があるなど終点の旗坂キャンプまであきることはない。(約五キロ三時間コース)
苔むして昔を語る草の川の碑
「こ」のかるたの画像
 宮床草の川地蔵尊と向い合って建っている。高さ約二メートル余りの板碑。南北朝期のものとしては、郡内唯一基と報告されている貴重なものである。貞和六年二月十三日「僧正敬白」の文字だけがかすかに見える。

さ行

50音読み札解説
さわやかな健康の町大和町
「さ」のかるたの画像
 昭和三十年吉岡町、吉田村、宮床村、鶴巣村、落合村、一町四ヶ村を合併して発足した。面積二二五・七平方キロメートル、黒川郡の約五十四%を占めている。町花、つつじ。町木、もみじ。
宿走但木土佐の信
「し」のかるたの画像
 安政五年、仙台藩主伊達慶邦の時代。幕末維新の仙台藩首席家老として活躍した。吉岡千五百石の領主である。戊辰戦争で敗北し、その責任をとわれて明治二年五月十九日東京で処刑された。封建時代最後の犠牲者である。吉田保福寺に招魂碑あり、辞世の扇子も残されている。
砂岩の洞窟に刻まれた磨崖仏
「す」のかるたの画像
 県道相川、三ケ内線の道端にある磨崖仏は、波打薬師、別名穴薬師ともいわれ、仏像は鎌倉時代の作と伝えられている。報恩寺は昔、この地にあったが吉田川の氾濫で洪水にあい、寺だけ現在地に移ったと云われている。
石器時代の中峰遺跡
「せ」のかるたの画像
 昭和五十七年から五十八年にかけて発掘調査された。日本最古、十四万年以前の原人が使ったと思われる狩猟、採集の生活道具石器が発見された。出土品一〇八点、メノウ質の玉髄、碧玉。石英安山岩で作られた物は一割を占めている。
壮大な壕と壕との八谷館跡
「そ」のかるたの画像
 館の創建は室町時代後半と推定される。館の東部、北部、西部を大水壕で囲み、南部は大きな空壕で区画されていた。東北縦貫道路の通過地に当たっていたため発掘され現在館跡は公園となって人々の憩いの場となっている。館の縮尺模型が東北歴史資料館に展示されている。

た行

50音読み札解説
逞しい仁王像の股くぐり
「た」のかるたの画像
 北目大崎の黒川神社、元慶五年(八八一年)三ケ内城主報恩寺可則が創立したと伝えられている。薬師如来を本尊とする神仏混仰の社である。境内にある仁王像の股をくぐると無病息災がかなうと伝えられている。
中世の信仰あつめた信楽寺
「ち」のかるたの画像
 宮床にある信楽寺は、天長元年(八二四年)茲覚大師開基と伝えられるが、明治四年に火災で焼失した。昭和四十四年から二年がかりで発掘調査された。寺、本堂、僧坊、神社、阿弥陀堂の跡がある。
鶴ヶ峯三社大明神
「つ」のかるたの画像
 宮床、鶴ヶ峯八幡宮は諏訪神社、鳴上加茂神社、熊野神社が合祀されている。南北朝期から近世初めまで一の宮として信仰された。秋季大祭典には、仙台藩主参拝など盛大に行われた時代もあった。今は地元の人々で祭りをしている、五穀豊穣農業の神様である。
天皇寺伊達宗清の菩提寺
「て」のかるたの画像
 政宗の三男、幼名を権八郎と呼び四才で生母に死別した。元和二年宗清十七才で今村吉岡城三万石の城主となり、寛永十一年三十五才の若さで病没した。子が無く、吉岡の伊達氏は絶える。宗清の墓のまわりには殉死者七名の墓もある。
鳥屋八幡古墳群
「と」のかるたの画像
 鶴巣鳥屋字天ヶ沢。鳥屋八幡神社の西にある高塚古墳のことで二基から成り、横穴式円墳である。奈良時代中期より、平安初期、律令時代の官人家族の墓。出土品は一号墳より、須恵器、擬宝付蓋、台付杯五組。二号墳より金銅製品一点、琥珀玉一点、須恵器四点等である。

な行

50音読み札解説
七ツ森四季折々の自然遊歩道
「な」のかるたの画像
 信楽寺遺跡から伝説の山々の間をぬい、七ツ森湖まで約六キロメートル。撫倉山に登れば展望台あり金華山まで遠望出来る。「天狗のすもうとり場」「さるすべり台」、恐竜の背を思わせる「蟻のとわたし」など、一寸とした岩場登山のスリルを味わう事が出来る。
日本一御来光なら三光の宮
「に」のかるたの画像
 暗いうちに船形山に登り三光の宮から日輪を拝む。るいるいと重なる山なみ、神々しい天地の姿が見える。旗坂登山口より徒歩約二時間。色麻大滝より約一時間を要する。
ぬばたまの闇にホタル飛び交う玉ヶ池
「ぬ」のかるたの画像
 玉ヶ池の水は鎌倉山から湧き出ている。昔は神水として信仰された。坂上田村麿呂が蝦夷征伐の折、七ツ森に狩りに来た時玉ヶ池に立ちより、悪玉御前を見染めて愛妻にしたと伝えられている。夏の夜はホタルが美しく群れ飛んでいる。
根古遺跡縄文文化に富む遺物
「ね」のかるたの画像
 吉田根古南囲、吉田川の上流河岸段丘上にある。縄文時代とは、狩猟、漁労、採集の時代。縄文式文化晩期遺物と貝殻文付縄文式土器の複合遺跡である。この貝殻文付土器が縄文早期の土器である。
幟り立て吉岡八幡御輿渡御
「の」のかるたの画像
 祭礼の御輿しは神社から館下へ、新車の境を渡り、地蔵院の小川で水垢離をとり、国道四号線の一里塚へ、そこから志田町上町西折し、四軒丁から八軒丁、六軒丁から館跡へ近づき逆行して長丁へ、中興寺前を回って下町へ、そこから遷御となる。

は行

50音読み札解説
白鶴の舞い下りたるや鶴巣館
「は」のかるたの画像
 鶴巣下草、別名鶴楯城ともいう。鶴が羽を広げて飛ぶ姿に似ていた。城主黒川安芸守晴氏永禄年中まで居住。戦国時代末期に没落した。俗説に家臣の裏切り行為で落城したと伝えられる。後に伊達氏が黒川郡支配の最初の拠点とした所である。
人の世を照らす燈台「国恩記」
「ひ」のかるたの画像
 「国恩記」とは江戸時代後期、今村吉岡宿の時代、吉岡の住民が生活困窮におちいり、一家離散して町が壊滅状態になった時、町の有志九人が結束し、血のにじむような苦労を重ねながら町輿しに奔走した実態をまとめた本五巻である。著者、龍泉院八世住職、栄洲瑞芝。
船形山紅葉美わし花絨毯
「ふ」のかるたの画像
 船形山、標高一五〇〇・二メートル、死火山である。山頂近くに千畳敷と呼ばれる所あり、春は緑、秋は紅葉のジュータンを敷きつめたような眺望の場所である。船形山は県立自然公園で、宮城、山形の国見山でもある。
辺境に内水面水産試験場
「へ」のかるたの画像
 船形山麓に、銀さけ、にじますと養殖研究し、内水面漁業を総合的に振興させる県の機関である。近郷部落の人々が釣り堀りを開業し、にじますの塩ふり焼きや、山菜を出して観光客に好評である。
保福寺に「寛文事件」奥山大学の墓
「ほ」のかるたの画像
 仙台藩主、伊達綱宗が隠居し、幼君亀千代が家督を継がれた時の家老は四人、その一人が奥山大学六千石の吉岡領主であった。大学は亀千代を擁立してよく働いたが、他の家老と意見対立し寛文三年七月引退した。「寛文事件前期」である。

ま行

50音読み札解説
まほろばに神々在す七ツ森
「ま」のかるたの画像
 笹倉山(標高五〇六・五メートル)、遂倉山(三〇七・八メートル)、鎌倉山(三二五メートル)、蜂倉山(二九三・一メートル)、大倉山(二九一・二メートル)、撫倉山(三五八・七メートル)、松倉山(二九一・二メートル)。七ツの峰の頂きに薬師如来が祭られ、一日で巡拝すると功徳利益があると伝えられる。
未来に羽ばたくハイテクパーク
「み」のかるたの画像
 大和町松坂平、仙台北部中核工業団地(総面積約三〇〇ヘクタール)が昭和六十三年度から分譲開始。
 吉岡流通工業団地など、大和町の明日を創造する槌音が高くひびき渡っている。
昔話は「童コやーい」
「む」のかるたの画像
 親から子へ、子から孫へと語りつがれた昔話し二十六と、数えうた、なわとび、まりつき、子守りうた、などを書いた本である。(著者佐藤とし子)
珍しい集落のあと摺萩遺跡
「め」のかるたの画像
 宮床、縄文時代中期より晩期にかけて、約二千年から四千年前と思われる集落跡である。住居はすべて竪穴式、ゴミ捨て場、お墓、狩猟、採集の生活道具石器が出土した。集落の形がそっくり出てくるのは珍らしく重要な遺跡となった。
武士の静かに眠る覚照寺
「も」のかるたの画像
 宮床館主伊達宗房一族の菩提寺である。宗房夫妻と母の廟は、宗房の子で仙台藩主五代目を継いだ吉村が建立したと記されている。一族の墓は三ブロックに構成され、それぞれが桝形の囲いと屈折した道で独特な環境を造り出している。

や行

50音読み札解説
弥生式文化を示す要害遺跡
「や」のかるたの画像
 落合松坂要害地区、有角石斧文化圏の北端である。弥生時代とは食料を栽培生産する農耕時代、その時の石包丁が出土した。紡錘型の扁平なスレート質磨製で、石器で稲の穂をつみ取ったものと思われる。
ユーフォーもおりて来そうな麓館跡
「ゆ」のかるたの画像
 吉田麓、切り立った崖上の大地にある。文永二年、入生田駿河が伊達軍との戦に敗北し、とらえられて斬首された、その場所を入生田と呼ぶと町史に記されている。今は公園となって春は桜が見ごとである。
吉岡の八幡神社宵祭り
「よ」のかるたの画像
 元和四年、伊達宗清下草より遷宮、昭和六十二年に落雷で焼失したが、石の間造りの中にあった御神体は無事である。平成元年再建。祭日、一月十四日(どんと祭)、七月三十一日(輪くぐり)、九月十五日(やぶさめ)、十二月十四日(島田飴)。

ら行

50音読み札解説
来客でこみあう大和朝の市
「ら」のかるたの画像
 大和町農協前広場、日曜朝六時開始、近郷近在の農家の人達が自分の家で作った野菜、果実、漬物、花などを持ちより戸板の上に並べる。顔なじみの売り手と買い手のコミュニケーションが面白い。
李花の故郷六地蔵尊
「り」のかるたの画像
 原阿佐緒が「家毎に李花咲くみちのくの…」と歌に詠んだ李は早春に白い花をつけ畑のすみに咲いている。曲がりくねった道を尋ねあるくと、座り地蔵や立ち地蔵が道端に祭られている。中野の地蔵は伊達吉村の母松子が建立したと伝えられている。
瑠璃色の水燦々と湖畔公園
「る」のかるたの画像
 昭和六十一年南川ダム完成、宮橋、悪田、四十八滝が湖底に沈んだ。七ツ森湖畔公園と名も改めて千本の桜が植えられた。芋煮会やバーベキューに最適。テニスコートやダム資料館があり、また、近くに「ふれあいの里」、「七ツ森自然体験館」がある。
霊岩石神山精神社
「れ」のかるたの画像
 吉田麓、古代式内社。石神山精とはその名称から山霊神として岩山に名づけられたもので、神体岩が認められ太古の信仰のおもかげがしのばれる。社前に坂上田村麻呂手植えの杉といわれる、幹の囲い七メートル余りの老杉がある。
炉の跡も古代陸奥官窯跡群
「ろ」のかるたの画像
 鶴巣鳥屋、鳥屋平窯跡群と鳥屋三角田南登窯跡群がある。出土品、平窯跡より、大瓶、中瓶、蓋、杯、碗、長頸瓶、円面硯、小型宝珠。登り窯跡より、大瓶、大つぼ、杯、鉢、円面硯、など古代官寺、国社、宗教の行事に使用されたものと思われる。

わ行

50音読み札解説
別れ行く門出に贈る「お立ち酒」
「わ」のかるたの画像
 花嫁に贈る歌である。県内外に広くひろがっているがこの歌の元歌発祥の地大和町宮床難波であるといわれている。町では年に一度「お立ち酒全国大会」を開き広く愛好者と交流を深めている。

お問い合わせ

 大和町観光物産協会  345-7501


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アサヒナサブロー

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大和町観光物産協会<外部リンク>

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