大和町「まほろば百選」 伊達宗清

更新日:2024年03月01日

伊達 宗清(だて むねきよ)

~伊達政宗の三男で吉岡城を築いた初代城主~

伊達河内守宗清(1600~1634)は藩祖伊達政宗の三男、京都伏見に生まれた。

4歳で母を亡くした。政宗は、慶長9年国分松森(現仙台市泉区)に住んでいた側室飯坂の局に対し、宗清に飯坂家を継がせ、局に宗清の養育を委ね養母とした。慶長15年元服(11歳)伊達姓を許され河内守宗清と称した。3万8千石を以って黒川の領主に任ぜられた。屋形を松森の地より鶴巣下草に移したが、下草の屋形は万事不自由な所であるため、吉岡に「住居を移して然るべき」と許され、元和2年春、宗清17歳、養母、家臣共々吉岡城に移った。

大崎一揆の傷跡の癒えない黒川地方の領主として人心の安定、領地の運営、城下町の創設、交通の要である吉岡の発展に努めた。寛永11年(1634)35歳で没した。宗清の墓は天皇寺にある。

(まほろば百選~未来への伝言~第二刊《人物編》より)

天皇寺にある伊達宗清の墓の写真

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