大和町「まほろば百選」 早坂文雄
早坂 文雄(はやさか ふみお)
落下傘装置の実用化を完成させた
発明者、早坂文雄は酒造業を営む父良七、母まさの長男として、吉岡下町5番地で明治40年7月15日呱々の声を挙げた。
祖父母、両親10人の兄弟に囲まれ、資性温良頭脳明晰広遠の志を抱く青年として成長する。
吉岡小学校-仙台二中-仙台二高-東京帝大(新人会へ入会)と進むが、理想に燃えて入会した新人会は軍国体制時代に受け入れられず、時代の波は彼の行く手をさえぎった。
しかし、屈せず市ヶ谷刑務所内で、落下傘装置の研究を続け、遂に世界に冠たる発明を成し得た。
「落下傘装置」に関する発明出願は昭和7年6月11日に行い、同8年6月2日に公告、同年12月23日に特許局長官 中村真郷より特許証が発行された。
残念なことに、昭和7年9月10日特許局の吉報と入れ違いに、釣りに出かけて過って深みにはまり、帰らぬ人となった。
偉業と照らし合わせ、あまりにも残念であり惜しまれてならない。
大衡村昌源寺に眠る。享年26才
(まほろば百選~未来への伝言~第二刊《人物編》より)
更新日:2024年03月01日