七ツ森のできたわけ

更新日:2024年03月01日

朝比奈三郎をイメージした、かごを背負った和装の男性のイラスト

 昔、加美の都に朝比奈三郎という力持ちの大男が住んでいました。

 あるとき、弓の稽古をするため、的にする山を作ることにしました。

 そこで大きなタンガラ(土を運ぶための背負いかご)をつくり、黒川のほうまでやってきたそうな。そして、大谷の東の原っぱ(現在の鹿島台町あたり)からタンガラいっぱいに土をいれ、七回ほど土を運んで的山をつくりました。

 途中、一回づつ休んだときにタンガラから土がこぼれ、その土が固まって七つの山ができました。それが今の「七ツ森」で、この時土を掘ったところが「品井沼」、三郎が歩いた足跡が「吉田川」になったんだと。

 また、その時の的山が矢喰山(薬莱山)で、一番あとにタンガラの残りでできた山がたんがら森といわれるようになったんだとさ。

大和町落合八谷館公園よりみた七ツ森

大和町落合八谷館公園よりみた七ツ森の標高を表わしたイラスト

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